『プリースト 悪魔を葬る者』で、アガトは何を歌っていたか

『プリースト 悪魔を葬る者』に出てくる外国語のテキストを翻訳するブログです。

映画の最後、字幕のなかったキム神父のセリフなど

ツイッターにも書きましたが、映画のほぼ最後の部分のキム神父のセリフの中、字幕がついてなかったセリフがありました。

このセリフから映画の「あのシーン」の見方も変わってくる、ということもありますので、そこも含めて作成します。ちなみに他のシーンたちの解析、設定とかの話もあります。2、3個しか書かないというのもなんかもったいないので…

ちなみにこのブログにアップロードしている解析の中、私自身が思いついたことはあまりないです。ほとんどは去年、韓国の皆さんがネット上で話し合ったものとか、チャン監督のインタビューからとっています。

 

これから先はネタバレを含みます。十分ご注意ください。

 

※ここからはネタバレを含みます※

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1.キム神父の祈りとタクシー

アガトがタクシーに乗って唱え始める祈りと、パトカーで連行されるキム神父の祈りが重なる部分です。アガトの祈りから書きます。

 

아가토: 성부, 성자, 성령의 지극히 거룩하신 삼위시여, 티 없으신 동정녀, 천사들과 대천사들, 천국의 모든 성인들이여, 제 위에 내리소서.
アガト「父と子と聖霊のきわめて聖なる三位よ、汚れなきおとめ、天使たちと大天使たち、天国の全ての聖人たちよ、私のもとへ降りたまえ」

김신부: ... 영혼과 육신의 보호자인 평화와 힘의 천사를 보내시어 당신의 모상인 종 아가토를 방문하시고 도우러 오소서.
キム神父「…魂と肉身の保護者である平和と力の天使をおくり、あなたの模像である僕、アガトに訪れ、救いに来たまえ」

 

この祈りから、実際アガトを救ったタクシーの運転手がその「天使」の役割を果たしたのではないか、と解釈できます。実際、アガトの道のりはきわめて険しかったのですが、タクシーだけは異常なほどになんともありませんでした。最初「イルサンとパジュ行きのみとなります」と言っておきながら、「近いハンガンの橋のほうへ」という怪しい要求にそのまま答えましたし。ふつうは「飛び降り自殺か」と思って止めにくるところだと、個人的には思います。ハンガンでの飛び降り自殺事件は結構多いので…

 

2.タクシーについてのトリビア

映画の公開から間もない時期に、「あのタクシーのナンバーって、1225じゃなかったけ?」という疑問がネット上で話題になりました。だったらものすごく狙って来る映画なんだよね、みたいな感じで。

しかし、実際は1225ではなく、2201です。

じゃこれは別に意味のないランダムな番号なのでは、というとそうでもないらしく、創世記の第22章1節に関係があるという見解が多かったです。

 

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

 

チャン監督自身も、インタビューでこの創世記第22章の話をしています。

「神がアブラハムに息子のイサクを燔祭としてささげるように命じ、アブラハムが実際にイサクを殺そうとしているとき、主の使が「あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」と言い、かわりに一頭の雄羊をあたえた。そういう希望が必要だと思った」

彼は結構細部なところまで設定にこだわっているので、これも彼の意図の内にあるのではないか、と思われます。

 

3.なぜキム神父とアガトは成功し、イタリアの司祭たちは失敗したのか

アガトの道のりの部分を観ながらいつも思うのですが、彼って本当に優しい人ですね(笑)。信号を無視して車道に飛び込んで来たことを、運転手さんたちにいちいち謝っています。警察の人たちにも不遜な態度はとっていません。彼もキム神父も、良心がとがめられるようなことは一つもしていません。

しかし、イタリアの司祭たちはヨンシンのひき逃げという事件を起こしてしまいました。これは「時間がないからしょうがない」という判断からの行動でしょうが、「豚を川に捨てに行く道のりは険しい」というのは、こういうことも暗示しているのではないでしょうか。つまり、「悪の声に耳を貸してしまう」状況に置かれるということです。

地面に倒れているアガトのほうへと迫る車たちと、それを防ぐかのように突進してくる車たちが連鎖的に衝突していましたね。これを「悪魔と神の力比べ」と表現した方がいました。マルベスも司祭を殺めるために力を発揮するが、神もまた彼を護るために働いてくると。その力の差はわずかで、少しでも悪の声にそそのかれてしまった時点で悪魔の勝ち、というわけです。だからひき逃げしてから間もなくイタリアの司祭たちは事故にあったということですね。

でも、彼らは最後まであきらめなかった。「神よ、我らを捨てないでください」と祈っていましたね。それで、悪魔祓いのできるような状態になった(=オスではない宿主に潜入した)という解析です。

 

4.登場人物の名前に隠されている意味

チャン監督のコメントによりますと、次の3人の名前には由来があるそうです。

기범: (호랑이)이 일어나다()
チョン・ギボム:虎(ボム)が起きる(起は韓国語で「ギ」と読みます)

범신: (호랑이)의
キム・ボムシン:虎(ボム)の神(神は「シン」と読みます)

준호: 비된 랑이
チェ・ジュノ:準備のできている虎

ジュノと発音しますが、もともとは「ジュンホ」で、韓国語では「準」を「ジュン」と読み(日本語のジュンとは違いますが)、「虎」を「ホ」と読みます。ボムって書いたのは、虎の純粋な韓国語が「ボム」だからです。

三人とも寅年生まれという設定が取り組まれていると思われます。

あと個人的に思うのは、ヨンシンも何かあるのでは…ですが、彼女についてはコメントがないので割愛します。「永(ヨン)遠なる神(シン)」とかだったらいいのに、とか思うのですが、どうでしょうね。

 

5.キム神父とジュノの洗礼名

キム神父が「洗礼名は?」と聞いたとき、ジュノが「アガトです」と答えると、キム神父が思わず笑いますね。その理由は、実際アガトという悪魔祓いの司祭がいたからです。しかも、その名前は普通やるように自分の誕生日と祝日の重なる聖人から取っているわけでなく、「自分で選んだ」という。幼いジュノには知る由もなかったでしょうが、ここでも何かの運命を感じますね。

あと、キム神父の洗礼名であるペトロも、実は悪魔祓いをしていたそうです。

 

6.集団催眠(?)

これは余談ですが、この映画を初めて観た人の中、アガトが聖歌を歌うシーンで「アガトの後ろから後光が見えた」「背景がフランシスコの通っていた森に見えた」「声にエコーがかかって聞こえた」「スローモーションに見えた」などの意見が殺到しました。で、ネットでああいう書き込みを読んで「あれ、違ったの?」と思って確認してみたら、ただヨンシンの部屋の中でなんの変哲もない声で歌っているだけだった、と。

韓国の皆さんはこれを冗談交じりで「集団催眠」と呼びます(笑)。実は私も、後光とか森は見ていませんが、彼が歌いだした瞬間声にエコーがかかり、背景が真っ黒に見え、歩いてくる動きがスローモーションだったと信じて疑わなかったのです…2回目の観覧で、いずれも当てはまらなかったという事実を確認した時は、かなりショックでした。実は9回ぐらい見ている今でも、あのシーンではちょっとためらってしまいます。私が観たのは一体なんだったのか…と。頭の中には今でも鮮明に焼き付いてあります、あのスローモーションの映像が。

皆さんはいかがでしょうか?こういう体験をした方はいらっしゃるのでしょうか?