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『プリースト 悪魔を葬る者』で、アガトは何を歌っていたか

『プリースト 悪魔を葬る者』に出てくる外国語のテキストを翻訳するブログです。

日本語の字幕と元のセリフとのギャップ

日本に来てからこの映画を2回観てますが、

「あの字幕では、元のニュアンスが伝わらないのでは」と思った場面がいくつかありました。

これは大変失礼な発言かもしれません。映画のセリフを翻訳するに当たって、簡潔にまとめることが最優先されますから、すべての表現を「生かす」ことは不可能です。韓国語独特の表現をどこまで生かし、どこを削るか、すごく悩ましい作業であったろうと思います。

でも、「これはもともとこういうセリフでした」と、皆さんと共有したいという気持ちが強いのだと、受け取ってくだされば幸いです。

 

これから先はネタバレを含みます。十分ご注意ください。

 

※ここからはネタバレを含みます※

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1.「まさかとは思いますが」

"우리나라에서 그럴 가능성은 희박한데..."
「韓国でそうなる可能性は希薄ですが…」

些細な差ですが、あとで霊媒師とキム神父が「オスなんだよ」「韓国にオスっているもんか」という会話を交わしているのとつながると思います。マルベスは韓国とは縁のない、異質的な存在という事実を表しています。

両方のセリフとも「한국韓国」と言っているわけではなく、「우리나라」ですが、これはそのまま直訳するにはちょっとややこしいです。「私たちの国」とは普通言わないのですが、韓国語の話者は「自分の」と言っていい場合もよく「우리私たちの」という単語を使います。共同体主義の名残でしょうか。

 

2.キム神父が学長神父に補助司祭の条件について説明しているシーン

"그리고 지금 병원에 계시는 정기범신부님의 토테미즘과 해방수업을 들었다면 예식의 본질을 알고 있을 겁니다."
「そして、今病院にいるチョン・ギボム神父様の『トーテミズムと解放』の授業を受けていれば、礼式の本質をわきまえているはずです」

長すぎて授業名までは翻訳されなかったと思いますが、『トーテミズムと解放』、いかにも悪魔祓いと関係してそうな授業ですね。しかも、授業中のスクリーンには「獅子」の図が映ってあります。マルベスは「獅子型」でしたね。

 

3.「それでよく助祭になりましたね」

"10년만에 서품 보류되는 부제가 나오겠네요."
「十年ぶりに、叙階を保留される助祭が出るかもね」

ジュノを学長神父の元へと案内する主任の言葉です。つまり「お前こんな調子だと留年するぞ」ということです。実際、小説版ではすでに1回留年している設定です。しかしジュノはめげずにマタイの福音を引用します。

 

4.朴修士がキム神父を追い出し、ジュノが疑問を表すシーン

준호: 수사님.
박수사: 야.
준호: .. 뭐가 있긴 있는 겁니까?
박수사: 어. 있긴 있지. 저기 저 미친 놈.
ジュノ「修士様」
パク修士「おい」(ではないとは思いますが…「これ以上口きくんじゃねえ」ってイラ立ってるんですね)
ジュノ「本当に、何かあるんですか?」
パク修士「ああ、いるんだよな。あそこのイカれたやつ」

韓国語では「ある」と「いる」を区別せず、まとめて「있다」という一つの動詞で表現するので、こういう風に二人のセリフが繋がることができました。これを日本語でそのまま生かすのは無理ですね。

ですが、この時のパク修士のセリフは重大な意味を持ちます。これは後ほどマルベスがジュノを脅かし、「帰れ。帰って言え。ここには何もないと。いるのはあのイカれたやつ、たった一人だけだと」と言った時の命令と一致します。

「いるのはあのイカれたやつ、たった一人だけだ」

つまり、マルベスに「お前の母の乳房に瘤を作ってやる」と脅されたパク修士は怯え、彼に命じられた通りのことをジュノに告げたことになります。やめる理由も「体調も悪いし(梅毒のような痣がでている皮膚)、故郷の両親にも会いに行かないと(本当に母の体に異常があるのか確かめるため)」ですね。

 

5.フランシスコの鐘が届いてなくて、キム神父とジュノが電話でもめてるシーン

준호: 제발제발제발제발제발... 제발!
ジュノ「頼む頼む頼む頼む頼む…頼む!」

「제발」と「頼む」が一対一対応するかはやや疑問ですが…強引に直訳するとこんな感じです。最後の「제발!」でシーンがキム神父の顔のアップに変わる、というのがさりげなく笑いを取る場面です。

 

6.「奴らは犯罪者に似てる」

"놈들은 범죄자랑 비슷해. 자기존재가 알려지면 깊숙히 숨어버려. 들키는순간 반은 진거나 다름없거든."
「奴らは犯罪者に似てる。自分の存在が知られたら、潜り込んで隠れちまう。バレたら半分は負けたと同じだからな」

"자살같은 소리 하고 있네. 들키니까 도망친 거지."
「自殺なもんか。バレたから逃げようとしたんだ」

両方ともキム神父のセリフです。「バレたら隠れる」というニュアンスがもっと伝わって欲しかったです。

 

7.「チンピラになり切れ」ーキム神父の経歴についての推測を含めて

김신부: 지금부터 우리는 용역깡패들이다. 집주인이 알박고 안나가니깐 졸라 괴롭혀서 쫒아버리는거지.
キム神父「今から俺たちは用役ヤクザだ。家主が立ち退かないから、こっ酷く懲らしめて追い出すんだ」

これは翻訳上の問題ではありませんが、キム神父の経歴についての手がかりになるかも、と思って解説をつけます。「用役ヤクザ」というのは、ある地域に全面的に再開発が行われる際に、そこに住んでいる人たちが家を売って出ていくのを拒否した場合、開発する会社で雇って彼らを追い払う役割をする人を言います。強制的に住民を追い出す中、犠牲者が出ることもめずらしくありません。
住民のほとんどは金銭的に困難な生活を送っており、会社からもらう補償金は新しい住処を見つけるには取るに足らない金額です。つまり、再開発が行われたら彼らは文字通りに「行き場」を失います。こういう事件は韓国では頻繁に起きていて、とても悲惨なものもありました。
こういう「用役ヤクザ」の件を含め、韓国の社会的な問題に立ち向かう者がいつの時代にもいました。大学生が多く、もちろん神学生も例外ではありません。そこで、キム神父も昔はかなり社会運動をしていたのではないか、という推測の声があったわけです。「鼻の下に塗れ」と歯磨き粉をジュノに渡すというのも、集会の時に参加者たちが警察の放つ催涙弾の煙の影響を少しでも防ぐために歯磨き粉を塗ったという事実と関係あるのでは、とのことです。フランスコ修道会の人たちが口をそろえて「彼は神学生の頃から問題児だ」(韓国語ではもっとひどい単語です)と言うのも、このことを言っているのではないか、と。

 

8.ジュノが妹の幻を観て唖然とするシーン

김신부: 뭐 헛거라도 보이냐?
준호: 아닙니다..
김신부: 허 이새끼 이거 예민한 놈이네?
준호: 예민하면 안됩니까?

キム神父「何か見えるのか?」
ジュノ「なんでもないです」
キム神父「この野郎、ずいぶん敏感なやつだな」
ジュノ「敏感じゃ、いけませんか?」

字幕では「臆病」と書いてありましたが、「敏感」、正確には「鋭敏」のほうが正しいです。悪魔祓いの礼式の直前、ジュノが幻を見ていると分かったキム神父が「鋭敏だ」というのは、「何かを見ている=霊的に敏感である」と解釈したほうが自然だと思います。

 

9.ヨンシンの父がキム神父に「大金を受けておいて」と怒るシーン

아버지: 돈 이천만원에 너무하네 진짜!
父「2千万ウォン払ったからって、好き勝手もほどがある!」

これは字幕と真反対の意味です。お金を受け取ったのはキム神父ではなく、ヨンシンの両親のほうです。

マルベスの策略により、わいせつ罪を被ったキム神父を彼らは訴えましたが、示談になったという学長神父のコメントがありましたね。ジュノが焼肉を食べているキム神父に訪れる直前のシーンです。

「示談」は、当事者同士でなんらかの方法で葛藤を解決するという意味ですね。つまり、キム神父のほうから2千万ウォンを渡すことによって起訴をなかったことにし、悪魔祓いを続けることを許されたというわけです。しかし、だからといっていつまでもいつまでも好き勝手やりやがって、というのが父のセリフの意味だったと思います。

 

10.帰って来たアガトに、キム神父がロサリオを渡すシーン

김신부: 아가토
아가토: 네 여기있습니다.
김신부: 넌 이제 선을 넘었다.
아가토: 알고 있습니다.
김신부: 평생 악몽에 시달리고 술없인 잠도 못잘텐데?
아가토: 네
김신부: 아무도 몰라주고 아무런 보상도 없을텐데?
아가토: ..사람의 아들아, 그들을 두려워하지 말고 그들이 하는 말도 두려워하지 마라.
김신부: 비록 가시가 너를 둘러싸고 네가 전갈 떼 가운데에 산다 하더라도
동시에: 그들이 하는 말도 두려워하지 말고 그들의 얼굴을 보고 떨지도 마라.

キム神父「アガト」
アガト「はい、ここにいます」
キム神父「お前はもう線を越えた」
アガト「わかっています」
キム神父「一生悪夢に唸り、酒無しでは眠りもできないのに?」
アガト「はい」
キム神父「誰にもわかってもらえず、何の補償もないのに?」
アガト「…人の子よ、彼らを恐れず、その言葉も恐れるな」
キム神父「たとえあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても」
二人「彼らの言葉を恐れず、彼らの前にたじろぐな」

これは、司祭叙階式を連想させる会話です。

助祭が無事7年目の修行を終え、司祭になる際に、名前と洗礼名を呼ばれた助祭は「はい、ここにいます」と大声で答えます。

そして、もう個人としての存在ではなく、司祭として生涯を捧げることを誓い、按手を受けます。

まさにこの二人の会話が、これに当てはまるのではないでしょうか。

参考映像として、2016年のソウル大教区の司祭叙階式の様子を添付します。4分近くの短い動画で、音声も字幕も全部韓国語です。

youtu.be

 

あと、引用された聖書の文はエゼキエル書の第2章です。が、日本のバージョンとは少し違います。日本のバージョンのリンクを貼っておきます。

エゼキエル書 2章1-10節、コリントの信徒への手紙二 5章16-21節

 

何か気づいたことが増えたら、追加したいと思います。